寺本まこと44。


私は8歳で人気者になり9歳になる頃には人気者とは何かを知っていた。
私は8歳でクラスメイトからチヤホヤされて(おもに男子から)9歳になる頃には人気者とは何かを知っていた。毎日外で遊んだり友達の家で遊んだりした。
元々内気で7歳頃にも人形遊びをしていた私がである。人気者になるとは多くの嫉妬を受けることであり敵もあらわれる。多くの犠牲の上に人気者であることができるのだ。9歳の頃には年賀状もクラスメイトから10枚も貰った。多くの犠牲とは人気者としていられるよう振る舞う、自分らしくいること、自分の時間を犠牲にするなどである。10歳の頃にはいじめを恐れて無口になった。それまでの人気の要因として自分から話しかけたり能動的に動くことが人気の要因であった。でもそれを10歳から15歳まではやめた。受け身になったのだ。私は14歳で不登校になった。受け身でありすぎたのだ。そういえば人気だった頃、今でこそ一般化されたフォローという言葉だけど私はまさに当時はクラスメイトのフォロワーのように振る舞っていた。だからtwitterのシステム自体、子どもの頃の私を見ているようである。10歳からはコミュニケーションのおもな場をインターネット上に移した。オンラインゲームのメイプルストーリーをしたりした。私は高校に入学し私がかつてそれほど人気者であったことを隠した。誰も私が人気者であったということを知るものもいなかった。20代になり心屋仁之助さんの本で清濁あわせのむという言葉を知った。私は有名になりたくても有名になれば批判もあるし様々なデメリットがあると思ってそれなりに振る舞っていたつもりだ。だが心屋仁之助の本でくじらのようにメリットもデメリットも清濁あわせ呑むということを知った。それは例えば政治家になっても自分のやりたいことや国民のために(官僚や既得権益層のためではない)政策をやろうとすると批判もあるし外圧もすごい。それを恐れて政治家であり続けることもできる。だがそれでは何も得られることはない。やりたいことをやると外圧もすごいし批判もくるし大変である。だけどその代わり良いことも得られることも利点もたくさんある。人気者になるということも同じことである。清濁あわせ呑むとは人気者になるという点で得るメリットもデメリットも合わせてのむということ、つまりはメリットもデメリットも合わせて受け入れるということである。私の右手には立派な神秘十字線も運命線もない。左手には立派な神秘十字線も運命線もある。私は自分から自分の意志で左利きになることを選んだ左利きである。このことからも私は努力してきたことが分かる。私は20代からは人気者になれるようにインターネットで活動してきた。だが本を読んだりなど人と会ったり人付き合いする時間より一人で過ごす時間を増やした。20代はそういう意味でこれからの人生を生きていく上での土台を一人になる時間を増やしつくり10代の人付き合い最多人生とは違う時間を過ごしたことになる。30代は20代からの継続した生き方をする。決して10代の頃過ごした人付き合い最多人生のような時間に戻ることはないのである。25歳から開始したハンゲでは27歳までに多くの人気を得ることができて良かった。

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